刺青の歴史から紐解く『刺青・タトゥー』が忌避される理由
刺青やタトゥーの歴史は非常に古く、紀元前数千年前の頃にはすでに存在していたようです。
起源がいつなのか、どこで発祥したものなのか、それすらもよく分かっていないほどです。
刺青の歴史~はじまり~
アルプスの氷河から5300年前の新石器人が氷漬けで発見され、これが確認されている最古の刺青を入れた人物だそうです。
日本の歴史上では土偶に描かれた紋様から、縄文時代にもタトゥーが入れられていたとされています。記録としては『魏志倭人伝』の中で卑弥呼が治めていた邪馬台国の住人たちが刺青を行っていたと見られる記述が最古のものとなっています。
刺青がどのような形で行われるようになったのか、どのように広がっていったのかは分かりませんが、世界が一繋がりになった大航海時代には未開の地にタトゥーを入れている原住民が散見されたようです。
刺青発展の歴史
日本の歴史を見ると刺青は個体識別のために使われていき、遣唐船の乗員、戦国時代の雑兵、江戸時代の罪人、という形で「この人物がどこの誰なのか」を分かるようにするため刺青が用いられていきました。
江戸時代には罪人に刺青が行われた一方で、火消し・鳶・飛脚などが『粋』な刺青を入れる文化も発展していきました。
世界の歴史を見ると古代においては身分の高い人間の象徴としてタトゥーが用いられており、エジプト王朝のミイラからタトゥーが発見された他、2000~2500年前にもギリシャの歴史家によってユーラシア大陸ではタトゥーを入れることが身分の高い人物の象徴として記述されています。
それから千年以上後の大航海時代には、未開の地でタトゥーを入れている原住民を見つけると蛮族と決めて植民地化を正当化するようになりました。
刺青・タトゥーが忌避され始めた時代
海外からの圧力によって開国した日本は、近代化の波に押され、刺青を廃止する方向に動き始めます。
刺青を入れることを禁止し、厳しく取り締まりました。この歴史の影響が、現代まで続く「刺青・タトゥーは反社会的」と言われる理由の一つと言えるでしょう。
ちなみに刺青という名称が用いられるようになったのも明治以降のことだそうです。
一方で西洋の皇太子が明治時代の彫り師に刺青を施されるなど、日本の華やかな刺青文化は世界に広がっていきました。
政府は次第に刺青を黙認するようになり、取り締まりも沈静化していきました。
組織に帰属する証
明治時代に行われた刺青の禁止令により、江戸時代には刺青を入れていた火消しなども刺青を入れなくなりました。結果として彫り師は仕事を追われるようになりましたが、暴力団において刺青の文化が廃れることは無かったようです。
構成員は「社会からの離脱」と「帰属組織への忠誠」を表すため、当時は一生消えなかった刺青を入れ、その「一生消えない」刺青を利用することで周囲を威圧しました。
これが「刺青=暴力団」という現在の図式が出来上がるに至った歴史です。
ちなみに海外ではタトゥーが容認されていると勘違いしている人も多いのですが、日本が刺青に対して特に厳しいということはなく、世界的にも刺青を忌避する国は多いです。
今回記事の参考サイト
刺青の歴史
「刺青の起源と歴史」について考える
入れ墨について
刺青除去の先生たちへ取材!
親身なカウンセリングで刺青治療法を丁寧に説明【大宮中央クリニック】